2026年前期の朝ドラ『風、薫る』で、もう一人の主人公・大家直美が第18週で立ち上げる「恵風看護婦会(けいふうかんごふかい)」。
派出看護婦を派遣し、貧困のために医療を受けられない人々を救うという組織です。
結論から言うと、恵風看護婦会のモデルは、直美のモチーフである鈴木雅が1891年に設立した「慈善看護婦会」と考えられます。
この記事では、明治期に実在した派出看護婦会と、日本の看護史における派出看護のあゆみを、公式情報と史実にもとづいて整理します。
ピク「恵風」って響きが美しいけど、モデル団体があるのかどうか気になって調べてみたの。史実の派出看護婦会って本当に奥が深いんです。
恵風看護婦会は実在?モデル団体を調査


「恵風看護婦会」という名称の団体は実在しません。
NHK公式が「実在の◯◯がモデル」と明言した事実も、現時点では確認できていません。
ただし、史実に非常に近い団体が存在します。
それが、大家直美のモチーフとされる鈴木雅(すずき・まさ)が1891年に設立した「慈善看護婦会」です。
『風、薫る』は、明治期に日本で初めて近代看護学を学んだ大関和と鈴木雅の2人をモチーフに、その生きざまをフィクションとして再構成した作品です。
一ノ瀬りん(見上愛さん)=大関和、大家直美(上坂樹里さん)=鈴木雅という対応関係になります。
(参照:ステラnet|連続テレビ小説「風、薫る」)
恵風看護婦会と慈善看護婦会の共通点
恵風看護婦会がドラマ内で持つ特徴と、史実の慈善看護婦会を並べると、対応関係がはっきり見えてきます。
| ポイント | 恵風看護婦会(ドラマ) | 慈善看護婦会(史実) |
|---|---|---|
| 設立者 | 大家直美 | 鈴木雅 |
| 前職 | 帝都医大病院を退職 | 帝国大学医科大学附属第一医院を退職 |
| 事業内容 | 患者宅への看護婦派遣 | 在宅の病人への看護派出事業 |
| 貧困層への姿勢 | 医療を受けられない人を救う | 貧しい病人には無料で看護 |
4項目すべてが重なります。
恵風看護婦会は慈善看護婦会、およびその後継組織である「東京看護婦会」を下敷きにした創作組織と考えるのが自然です。
(参照:Wikipedia「鈴木雅(看護師)」)
鈴木雅と慈善看護婦会の史実
鈴木雅は、日本で最初の個人経営による派出看護婦会をつくった人物です。
大関和と同じく桜井女学校附属看護婦養成所で学び、1888年にトレインドナース(近代教育を受けた看護婦)となりました。
その後、帝国大学医科大学附属第一医院で内科の看護婦取締役(看護婦長)を務めます。
1891年(明治24年)11月、東京・本郷森川町に「慈善看護婦会」を創設。
欧米の先例にならい、病院に来られない在宅患者への往診看護を始めました。
『国史大辞典』では、この慈善看護婦会が日本最初の派出看護婦会と位置づけられています。
(参照:サライ.jp|『風、薫る』大家直美のモチーフ・鈴木雅の生涯)
1893年には「東京看護婦会」へ改称。1896年には東京看護婦講習所を開き、派出看護婦の養成にも力を注ぎました。
また、日本初の女医・荻野吟子らと大日本婦人衛生会を組織し、『婦人衛生雑誌』を刊行するなど衛生知識の普及にも取り組んでいます。



「貧しい人からはお金を取らない」を明治24年にもう実践してたなんて…!直美ちゃんの真っすぐさ、ちゃんと史実の鈴木雅さんから来てるんですね。
明治期の派出看護婦会の始まり


「派出看護婦会」とは、依頼のあった家庭や病院に看護婦を派遣する組織のことです。
明治20年代から昭和初期にかけて、都市部を中心に多数設立されました。
日本の近代看護は1885年、有志共立東京病院看護婦教育所や桜井女学校附属看護婦養成所の発足に始まります。
当時は、上流階級であっても病気で入院するという習慣が一般的ではありませんでした。
自宅療養が前提だったため、家庭に看護婦が出向く「派出看護」への需要が大きかったのです。



今でいう「訪問看護」の原型が、もう明治時代にあったんですね。当時は病院より自宅で療養する人が圧倒的に多かった時代だから、需要も大きかったんだそう。
ただし、急増には副作用もありました。
1890年代後半には派出看護婦会が乱立し、十分な教育を受けていない看護婦が増えてしまいます。
「看護婦の仮名を借りているに過ぎない」と評される状態も生まれ、制度整備が急務となっていきました。
大関和と派出看護
大関和は1858年(安政5年)、栃木県黒羽(現・大田原市)の黒羽藩家老の家に生まれました。
離婚を経験して2人の子を育てながら上京し、牧師・植村正久と出会って教会に通うようになります。
植村の勧めで桜井女学校附属看護婦養成所に第一期生として入学。
ナイチンゲールの直弟子であるアグネス・ヴェッチから直接指導を受けました。
1888年(明治21年)、鈴木雅らとともに日本で初めて近代教育を受けた看護婦の一人となります。
(参照:とちぎ旅ネット|明治のナイチンゲール大関和のふるさと栃木を巡る旅路)
その後、帝国大学医科大学附属第一医院で初代の外科看病婦取締、新潟・知命堂病院の初代看護婦長などを歴任しました。
1896年に東京へ戻ると、同期の鈴木雅が設立した東京看護婦会の講師に就任。
1901年には雅から会の経営を引き継ぎ、会頭を務めています。
1899年6月に『派出看護婦心得』、1908年4月に『実地看護法』(秀英社)を刊行。
1909年11月3日には神田猿楽町に「大関看護婦会」を設立し、あわせて大関看護婦講習所を開所しました。
(参照:上越市|大関和をモチーフとした連続テレビ小説「風、薫る」)
つまり、日本の派出看護は「鈴木雅が始め、大関和が制度と教育で支えた」という二人三脚で広がったものです。
▼あわせて読みたい
【風薫る】訪問看護の実在モデルは大関和と鈴木雅|史実と派出看護の歴史



大関和さん、栃木出身なんですね。武士の娘から離婚を経て看護の道へ…主人公・りんちゃんが那須から上京する設定と重なって、ぐっときちゃいます。
看護婦規則と派出看護婦会の広がり
派出看護婦会の乱立を受け、看護婦の資格と職務を定めるルールづくりが始まります。
1900年(明治33年)、全国に先駆けて東京府が「看護婦規則」を制定しました。
看護婦の職務内容や資格要件を規定したもので、大関和もその整備に取り組んでいます。
その後、1915年(大正4年)には内務省令として全国共通の「看護婦規則」が定められ、看護職の法的な位置づけが全国的に整いました。
大正期に入ると、結核など長期療養を要する疾患が多く、自宅で看護を受けたいというニーズはさらに高まります。
ただし、派出看護婦会の総数や個別の運営実態は地域差が大きく、資料によって数字が異なります。
特定の数値は断定できません。
派出看護婦の日常業務


派出看護婦の仕事は、依頼のあった患者宅に住み込み、あるいは通いで看護にあたることが中心でした。
当時の主な業務は次のようなものだったと伝えられています。
- 体温・脈拍などのバイタル観察と記録
- 医師の指示にもとづく処置の補助
- 清拭・食事介助・排泄介助など生活の世話
- 患者家族への看護の指導
- 長期療養者の精神的な支え
報酬は看護婦の等級によって日額が決められていました。
慈善看護婦会の会則にも、格付けごとの派出料が定められています。
大関和が著した『派出看護婦心得』(1899年)は、こうした派出看護婦の心構えや業務をまとめた実務書として広く読まれました。
現代の訪問看護との違い
派出看護は「現代の訪問看護のルーツ」と紹介されます。
役割は近いものの、制度的な位置づけには大きな違いがあります。
| 項目 | 明治・大正の派出看護 | 現代の訪問看護 |
|---|---|---|
| 提供主体 | 民間の看護婦会 | 訪問看護ステーション |
| 費用負担 | 患者・家族の自費 | 医療保険・介護保険が中心 |
| 指示系統 | 依頼主・主治医の指示 | 主治医の指示書に基づく |
| 看護記録 | 看護婦個人の手記中心 | 電子カルテ等で共有 |
最大の違いは費用です。
当時は全額自費だったため、貧しい家庭は看護を受けられませんでした。
鈴木雅や直美が「無料で看護する」と決めたことが、どれほど異例だったかが分かります。
風薫るで描かれる派出看護シーン
『風、薫る』では、りんと直美という血縁関係のないダブルヒロインが、明治の激動期を看護婦として生き抜きます。
第18週、直美は帝都医大病院を退職し、派出看護の道へ進みます。
第88話で、養成所の同窓・柳田しのぶとともに「恵風看護婦会」を設立。
会の名前は、直美を見守る牧師・吉江善作に頼んで付けてもらったものです。
(参照:Wikipedia「風、薫る」)
第20週では、ぜんそくに苦しむ夫を抱えた登勢が派出看護を依頼。
貧しい暮らしと知った直美は、看護を無償で引き受けます。
この無償対応こそ、史実の慈善看護婦会そのものです。
ドラマがモデルを丁寧になぞっていることが分かる場面といえます。



「お金がなくて医者にかかれない」って、明治だけの話じゃなくて、令和の今も福祉の課題として残っていること。恵風看護婦会のエピソードは、きっと現代の視聴者にも刺さるはず。
キャストや相関図が気になる方は、あわせてこちらもどうぞ。
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ピクの視点|朝ドラで描かれる看護史の魅力
朝ドラ18年ウォッチャーのピクとして、『風、薫る』の恵風看護婦会エピソードには特別な思い入れがあります。
巷では「りんちゃんのモデル=大関和」とだけ語られがちです。
でも私は、直美=鈴木雅という「もう一つのモデル」にこそ、このドラマの面白さがあると思っています。
子どもが3人いると、誰かが熱を出すたびに「今すぐ来てくれる人がいたら」と思う瞬間があります。
明治のお母さんたちにとって、派出看護婦さんはまさにその存在だったはず。
教科書ではほとんど扱われない看護婦たちの働きに光が当たること自体が、朝ドラの持つ「歴史を掘り起こす力」だと感じます。



私、実は毎回このドラマを観てから、田中ひかるさんの『明治のナイチンゲール 大関和物語』を少しずつ読み返してるんです。史実を知ると、りんちゃんの表情の意味がぜんぜん違って見える…!
まとめ|史実を知ると風薫るがもっと面白い


『風、薫る』の「恵風看護婦会」という団体は実在しません。
NHK公式がモデルを明言した事実も確認できていません。
ただし、直美のモチーフである鈴木雅が1891年に設立した「慈善看護婦会」が、最も近い実在団体と考えられます。
設立の経緯、患者宅への派遣、貧困層への無償看護という4つの要素が、ドラマの描写と重なるためです。
りんのモチーフ・大関和が1909年に開いた「大関看護婦会」も、同じ派出看護の系譜に連なる団体です。
史実と物語の両方を、ぜひ味わってみてください。



ドラマの「恵風」という美しい名前の裏に、明治の名もなき看護婦さんたちの汗が透けて見える気がします。今週も『風、薫る』が楽しみ!









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